pasopapablog

日頃の生活・写真の掲載を 主な目的とします。

2021年03月

もうあれから1か月(03.31)

来月3日で、もうあれから「東京医科大八王子医療センター」から「急性膵炎」で
入院・退院して1か月が経とうとしています。入院は25日に腹痛・吐き気でみなみ
野の内科クリニックに様子を見に行き、翌日26日も行ったら「内診」、「血液検査」
および「CT検査」を行った。血液検査(私は詳細は分かりません)を見て、大きくて
「入院設備」のある病院を紹介する旨の話があった。「医療センター」を紹介され26
日の午前に行けば、診療可能とのことで「タクシー」で行き、クリニックで撮影した
「CT画像」を見ながら、多分「急性膵炎」との診断だった。その日は、金曜日で詳細
な「内視鏡」診断は月曜日(3月1日)に行うでそのまま入院となった。3月2日まで
は、「点滴」で「ご飯」は無であった。6人部屋で他の5人はカーテン越しで直接見え
ないが、「旨そう」に食事をしていた。3月1日に内視鏡で「膵液」の箇所を調べたら
何ともなく、「胆石」も流れて何もなかった。3月3日に退院をした。吐き気や腹痛は
昨年12月31日夜に自覚症状があり1月1日に当内科クリニックで薬で治った。次に
1月8日同様症状でまた同クリニックに行きこれも薬で治った。同症状では3度目で
そのクリニックは「女医」で診断が明確であった。前に他の病院の「定期健康診断」で
「糖尿」の気がある診断結果で、当クリニックで個別診断を受け、上限であるが大丈
夫の診断は1年半前位であった。2月26日入院当日は、市主催のタブレット講習
会のサポート役で3月3日準備会、3月10日(午前・午後)及び17日(同)の
できない旨を「情報ボランティア」の講師約のSさんや同サポート4人へ病院から
メールした。また、退院した翌日の4日に「情報ボランティア」の女性から「携帯」
に電話があり、新規に購入した「スマホ」のパスワードについて教えて欲しい旨の
電話があり、やみ上がりの旨を説明した。その中で、病名と6か日間入院の理由を
教えから、3月20日LINEでその後の経過具合を確認してきた。コロナ禍でここ
ZOOMで皆の顔は見ているが「直顔や話」がないと実感が共わない。有難いことで
あった。1か月経ったが、まだ「足が弱って」、腹が凹んだ状況である。また人生
で「入院」は初めてである。検査入院(1泊)は計5回である。

今月31日のYouTube アップ「冨士森公園の桜」のURL(約4分6秒)

 https://youtu.be/ZWI_Zf1RUYI

<狭い庭の一角にイヌカミツレ(キク科)>
IMG_0778
<狭い庭の片隅のビオラ>
IMG_0780
<庭のスパラクシス>
IMG_0782
<チューリップが満開>
IMG_0783
<ニラバナとスパラクシス>
IMG_0784

以上



あれからもう1年(03.28)

 早いもので、私が主幹事になった58歳の時から毎年1泊2日に「小学校同期同窓
会」、古希祝いから常時出席者限定として改めて「小学校同期有志会」をコロナ禍以
外は毎年行ってきた。そんな中、例年通り昨年6月に「小学校同期有志会」を開く予
定で、2月下旬に他幹事が住む「千葉県」で開催準備会を市川市「本八幡駅」前のフ
ァミレスで昼食を挟んで行った。出席者は、私と男×2名、女×1名(もう1名は体調
不調で欠席)で行った。幹事会で開催日を6月6日(日)、7日(月)で、日光「湯
西川温泉」行うことを決めた。その内容は、群馬県、埼玉県在住の会員へ事前連絡
を行い、正式には同4月中旬に「往復ハガキ」で連絡・返事を貰うことを決めた。
 そこで、私は皆の「交通機関」・時刻・乗車駅と概算費用、1泊するホテルの料理
内容・カラオケ等の費用を算出した。交通機関である東武日光線およびホテル迄の
バスを含めた「フリーパス・キップ」を決めた。そこで、昨年3月に上記のように
「開催準備」をして、ホテルもインターネット「予約」した。そんな中、3月に横浜
の「クルーズ船」のコロナ発生、一般にもコロナが発生しつつ、報道で盛んに行って
いる。
主幹事として、他幹事と相談の上、昨年4月1日の2020年の「小学校同期有志会」
は中止・延期の判断して、ホテル予約はキャンセルした。もうすぐ、「中止・延期」を
判断して1年になるがコロナ禍は無くなるところが、第三波から第4波へ増えつつあ
る。皆の事(高齢者)を考えると「会」を開く気になれない。その内、人気者の「S君」
が亡くなり、会員の男が3名減った。皆に会えなく残念である。
<26日、富士森公園の桜と菜の花>
IMG_0369
<自宅のチューリップが開花です>
IMG_0774
以上












最近の狭い庭の草花(03.22)

 先月末、緊急入院し、3月3日退院した。足が弱り、なるべく歩くようにして
いる。息子の孫娘の登校時の見守りも今日から再開した。今月26日小学校卒業
式で少しでも、見送りしたく明日も行く予定である。また、今日病院に退院後初
のチェックに行き、問題無の診断を受けた。情報ボランティアの仲間から退院後
の体調は「どうですか!」のLINEがあった。19日の朝方で「励み」になります。
 そんな中、狭い庭は春爛漫で色々な草花が咲いている。その様子の写真をアッ
プします。
<カミツレモドキの花、キク科の一種です>
IMG_0316
<1輪目のチューリップ、19日夕方から20日の朝方開花>
IMG_0317
<近所の小学校のコブシの花>
IMG_0760
<2月19日、府中市郷土の森博物館のおみこし>
IMG_0302

以上










自動車免許更新に伴う認知機能検査(03.13)

早いもので、72歳の免許更新(古希を過ぎ)から満3年が過ぎようとしていて
免許切れ(更新日付)から6か月前に警視庁運転免許本部運転者教育課(堅苦しい)
ところから、認知機能検査受験、その結果の高齢者講習受講および更新手続き(誕
生日を挟んで2か月)の案内状が、2月8日(多分)にハガキが来た。3年前の高
齢者免許更新で、近くの自動車教習所の予約をしようとした満席で、同じ市内の良
く知らない自動車教習所へやっと予約して、良く覚えていないが視野や視力及び運
転技術の実地をさせられて、卒業(?)証明を持って「高尾警察署の免許更新所」
へ行き、無事更新した。
 今回は、その前へに「認知機能検査」があり、東京都で計5か所あり、三多摩では
「府中の運転免許場」と地元八王子の警視庁分室の2か所であった。多分、余裕で予
約は大丈夫と思い3月10日に電話で警視庁分室へ申しこんだら、4月下旬以降しか
あいていないとのこと。そこで、高齢者(3年まえ)更新のてつを踏まなないように
即申し込んだ。そこで、「認知症検査」は女房の友達から試験内容を聞いていたが、
具体的に内容を知りたくて、下記写真のような「問題集」を買ってきて、内容の確認
をして、これから「カテゴリ」とその内容の16通り、カテゴリからその内容を同様
に記述するのがメインのようである。テレビや新聞で「アクセル」と「ブレーキ」を
踏み間違いで事故を起こしている報道がある。中には、中央官庁の旧「偉い人」が若
い2人親子を死亡、他に多数のけが人を出しても、裁判で「自分は正しい」く「車」
が誤動作した意見で、裁判中である人も居る。「見苦しい」極まりない。また、車
のメーカも大迷惑である。事故車の後方で、2人がブレーキランプを確認している
が「点灯」していない証言をしている。(事故車は私と同じ車種)
私は、33歳で現在の家を買って、お金が無かったので35歳で「免除」、「車の購
入」で、そう当時JAFに加入して40年になる。息子から「免許返上」の話がでるが
私は「他人に迷惑」を掛けたら「返上」と思って毎日運転している。2年前に都の
補助金で自動衝突警報のシステムを「トヨタ販売店」で付けた。実費9千円位で
、過去の駐車違反で「罰金」を払ったのが1回のみである。
<問題集の表紙>
IMG_0310

以上

あれから10年(03.09)

早いもので、2011年から満10年が経った 又は経とうとしている。それは、満
10年が経ったのは、2011年1月に亡くなった「小学校同窓生」のK君である。知
らせは、田舎で親しくしていたS君(彼も2020年7月に亡くなっている)で、1月
の寒い日の「お通夜」に田舎・地元千葉県と同窓会幹事の私で出席した。彼とは実
家が隣近所なので、彼のお姉さんとは私が幼少のころからの知り合いだった。彼は、
昔から「腰痛」で悩んでいたようであり、亡くなった原因は別であった。
 それと、2011年3月11日午後3時過ぎ、当時子会社に勤務だった65歳で、そ
の日は「非番」で休みの「金曜日」であった。我家の2階の我が部屋で「パソコン」を
操作していた時、突然の「地震」であり、1階に居た「女房」が1階に下りてくるよう
に叫んでいるのが聞こえたが、当時パソコンラックの上に「小型プリンタ」(今は無い)
ら落ちそうと、自分の後ろの「本箱」が倒れそうで、手で「小型プリンタ」を、足で
後ろ側の「本箱」を抑えるがやっとであった。窓の外で、隣の庭の「柿の木」が根本か
ら揺れていたの覚えている。それで、地震は収まった。当日4時頃、テレビで「津波」
発生で、宮城県、福島県や岩手県の海岸の町が襲われている様子が中継された。
それと午後5時頃、息子の上の孫娘が保育園(今年中学生)で、非常時の待機場所
に車で迎いに行った。非難連絡があって行ったら、殆ど子は親御さん等に引き取ら
れていた。経験として、何かあったら即引きとり行動が必要である。当日、午後7
時頃都心まで通っていた息子に携帯で「テレビ」の交通状況を連絡して、なるべく
早く京王線で帰れる指示をしていた。当時、新宿当たりの京王線沿いをあるいてい
たように思う。娘夫婦は、イギリス・スコットランドへ赴任していたので、「難」
を逃れた。7年間のイギリス生活であった。帰国後、生まれた上の孫娘が小学校2
年生である。
また、「非番」とは私は定年退職後「企業年金・厚生年金」を貰いながら「子会社」
勤務で「給与」をそれなりに貰っていた。当時の規則では、年金+給与の計が27万
円以上の場合は年金等がが減らされる規定があった。しかしながら、「給与」は一般
勤務者の3/4以下であればその規定から除外される決まりがあった。通常者は週休
2日で4週×5日で20か日であり、規定から外れる為の月15か日勤務で対応し
た。年金は減らされないが、税金は全て規定とおり支払った。5か日余計に休む日
を「非番」と称した。あれから、10年である。
<狭い庭の様子>
IMG_0747

以上

ギャラリー
  • 最近の花の写真(2024.4.11)
  • 最近の花の写真(2024.4.11)
  • 最近の花の写真(2024.4.11)
  • 最近の花の写真(2024.4.11)
  • 最近の花の写真(2024.4.11)
  • 認知症検査(2024.4.3)
  • プロジェクトX(2024.3.30)
  • プロジェクトX(2024.3.30)
  • プロジェクトX(2024.3.30)
プロフィール

pasopapablog

今年(2020年)、コンピュータ・メーカを定年退職して十数年(あいだ6年は子会社勤務)経過して、現在パソコン・ビデオ及び写真を趣味としています。ホームページはWindows98(1998年)で旧日本IBMの「ホームページビルダー」で作成した。「八王子の歴史紀行」として2015年まで掲載をした。今回は再度挑戦でblogとした。どこまで、更新できるか。

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

youtube